| 伐株山伝説 |
ページ 1 の 3 伐株山伝説 JR久大線で目田から玖珠に入ると、巨人な木の切り株の形をした山が目につく。伐株山、「断株山」とも書く。旅から帰った玖珠の人たちは、この山容を車窓から眺めると、なぜかほっとした気侍ちになる。 伐株山は、玖珠のシンボルでもある。現在では五月五日の日本童話祭の会場の一つになっており、山頂は公園化されている。さらに山頂までは二本の車道が通っ ており、一本は玖珠町大字山田唐杉から、もう一本は同笹ケ原から山頂へと延びている。この伐株山は、大昔にあったクスの大木の切り株跡であると言い伝えら れ、これが玖珠郡の地名になったとされている。 天平五年(七三三)頃にあらわされた『豊後国風土記』によると、「球珠郡 郷は参所 単は九 駅は壹所なり 昔者 此の村に洪き樟の樹ありき、因りて球珠 郡と曰ふ」とある。いわゆる天平五年より以前に大きな樟があったので、ここを球珠郡と呼ぶようになり、さらに郡の中央にある山が大木の切り株に似ている所 から、それがクスの木の切り株の跡であるという伝説が生まれたものであろう。 古代の九州地方は樟楮地帯と呼ばれ、クス(樟)やカジ(楮)が多くはえていた地方であったという。玖珠郡もそうであったのであろう。このクスの木のこと で、珍しい話か伝わっている。江戸時代文致六年(一八二三)オランダ商館付医員として来日したドイツ人医師フォン・シーボルトは、目本における文物の調 査・研究・資料収集をしたが、この中に「豊州玖珠郡」の「楠木化石」なるものの標本があり、これが現在もオランダ・ライデンの「国立地質学鉱物博物館」の 一室に所蔵されている。 また江戸時代寛政年間(一七八九~一八〇〇)に完成したとされる『豊後国志』巻ノ七によると、断株山の項に、「一名洪樟」といい大樟の根が化石となったと記してあり、興正寺という寺について、「断株山上にあり、因みに洪樟寺と称す」とある。 このように伐採山は、古くは玖珠郡地名伝説を生み、中世においては信仰対象の山岳寺院洪樟寺があり、またその山岳寺院の施設を利用しながら、山城としても使われてきたのである。 執筆者内恵克彦(玖珠川歴史散歩より) |